始めましてやふひちと申します。
1975年生まれのいわゆる団塊ジュニア世代の宮城県仙台市在住のアラフィフ男性で、家族は特別養子縁組で迎えた息子と妻、そして、トイ・プードルのハルくんとの3人と1匹です。
在宅ワークなので、息子の学校の行事にも、私が参加することも多いです。私が住んでいる地域では、保護者面談みたいなイベントにに来ているのは、お母さんがほとんどです。
私の会社は、学校の保護者面談や、子供を病院に連れて行くことなんかは、”長めの休憩時間”として、多めに見てくれるので助かっています。
しかし、世の中のお母さんたちは、場合によっては仕事しながら、こんなこともしているんだと思うと、子供に振り回されながら、子育てする世の中の女性たちは、本当に凄いと感じて子育てをしています。
仕事はITエンジニアをしています。勤めている会社は東京にあるので、普段は完全在宅ワークで、出社するのは年一回の会社のイベントの時だけです。
毎日、ハルくんを膝の上に乗せて、のんびり仕事をしています。
でも、昔の私は2010年に、過当競争が続く携帯電話業界に就職し、ITエンジニアをしていました。当時はスマートフォンが爆発的に普及している頃で、業界全体の競争は熾烈で仕事のプレッシャーが大きかったです。オフィスの窓から見える空を見て、「あの雲のようにどこかに飛んでいきたいなぁ」と思いながら終わることが無い不安とプレッシャーに苦しんでいました。
その後、サラリーマンを辞めることを目指して始めたブログの収益が上がり、会社を辞めて自由になれたのも束の間。Googleのアルゴリズムに翻弄され、収益が激減し、程なくして生活が不安定になってしまいました。
それからはフリーランスのITエンジニアをやってみたり、プログラミング講師をやってみたり、挙句の果てには怪しい広告の配信をする会社の仕事をするなど、散々迷走した挙句、結局サラリーマンに戻ってしまいました。
表面的には脱サラに失敗しただけのよくある話なんですが、昔と少し違うのは、自分が大切にしたいことを優先させ、苦手なことを避けるのが上手になったことだと思います。このちょっとの違いが、一見元通りになっただけの私の毎日を違ったものにしてくれていると思います。
私のキャラクターを作った出来事
そんな私の自己紹介ですが、私のキャラクターを作り上げるのに大きな影響を与えたことを書くことで表現したいと思います。
生まれつきの心臓病と2回の手術
14歳の中学二年生の6月に学校の遠足で、鎌倉を歩きまわったところ、帰宅後に胸が痛くなり、動けなくなってしまいました。翌朝、何とか病院に行って分かったのが、先天性の大動脈弁閉鎖不全症という病気でした。
これは心臓から全身に血液を送り出す出口の弁が壊れている病気で、悪化すると心不全になる静かで怖い病気です。
この病気になったことで、「どうせ人より短い人生だとしたら、普通じゃ体験できない色んなことをしたい!」と考えるようなりました。私のキャラクターに大きな影響を与えたものです。
今までに2回手術を受けていて、3回目の手術が必要になる可能性もあります。
私の人生にずっと付きまとう病気ですが、今では普通の人には経験できない、様々な恵みをもたらしてくれる神様からの贈り物だと思えるようになりました。この病気になってなければ、クリスチャンにはなってないだろうと思います。
23歳でクリスチャンになったこと
社会人一年目の23歳の11月に、
「ご両親もクリスチャンなんですか?」と、よく聞かれるのですが、私が生まれ育ったのは、寺や神社にはお正月にしか行かないという、普通の日本人家庭です。
クリスチャンになったことで、それまで自分にとっての呪いだった心臓の病気が、祝福に変わりました。
私のキャラクターの中心にある要素です。
結婚
30歳になったばかりの時に同じ教会に行っているクリスチャンの女性と結婚しました。
「人と違うことをするんだ!」と息巻いて、間違った選択ばかりしてきた私でしたが、結婚相手の女性だけは間違いませんでした!
賢くて、私がやることをいつも励ましてくれる、素敵な女性です。
仕事を辞める時も、辞めてからの不安定な生活の時も、いつも私を信じて応援してくれました。特別養子縁組のことも、彼女無しではありえませんでした。
42歳の時にサラリーマンを辞める
業界最大手の携帯電話会社で、ITエンジニアをしていた私は、いつかサラリーマンを辞めることを夢見て、ブログ運営を始めました。
やがて、ストレスで心臓の持病が悪化し、うつ病を併発してしまったのですが、幸いにもブログの収益が上がったため、会社を辞めることができました。辞めてからもブログが成長し、最高で月間100万pvを達成しましたが、Googleの検索アルゴリズムの変更に伴い、収益が激減してしまいました!
その後は色々と迷走を続け、サラリーマン時代とは違った不安で苦しい時間を過ごすことになってしまいました。
我ながらよくある話だと思いますが、この苦しい体験が私に様々な学びを与えてくれたおかげで、今の私の人生を一味違うものにしてくれたと思います。
トイ・プードルがやってくる!
忘れもしない2022年の2月13日に我が家にトイ・プードルのハルくんをお迎えしました。
犬を飼うことを頑なに反対していた私でしたが、子供のころから犬を飼うことが夢だった妻の強い要求に屈する形で、うちで飼うことになりました。
好きな時に好きな場所に行くことが大好きな私は、自由なライフスタイルが失われることに不安を感じていました。しかし、新しい暮らしが始まった途端、外出したいなんて思わないくらい、溺愛するようになってしまいました。
そして、このことが特別養子縁組を大きく前進させるきっかけになりました。
特別養子縁組で息子を迎える
私たち夫婦は、なかなか自然妊娠しなかったため、40歳になるくらいの頃から、特別養子縁組で子供を迎えることを考えていました。
しかし、自由気ままなライフスタイルが失われることや、血がつながっていない子供を愛することができるかどうかの不安のせいで、特別養子縁組で子供を迎える自信が持てずにいました。
そんな私に自信を持たせてくれたのが、ハルくんでした!
不安でしょうがなったハルくんとの生活も、今では幸せに感じられるようになったのであれば、同じ人間の子供を迎えたらもっと幸せになれるはずだ!そんな自信が持てた結果、2023年の4月に当時8歳の息子を迎えることができました。
今や子育ては、私のライフワークの一つになりました。
47歳の時にサラリーマンに戻る
特別養子縁組で新しい家族が増えることになったため、収入を増やし、生活を安定させる必要が出てきました。
サラリーマンに戻ることや、そもそもアラフィフのおっさんを雇ってくれる会社があるかどうかなど、様々な不安がありました。
しかし、会社を選ぶにあたって、これまで学んできたことや、どんな仕事が自分に合っているのかを最大限に活かすことができました。
何よりも私を雇ってくれて、私に最大限の理解を示してくれる、上司や同僚のおかげで、ちょうどいい働き方が実現できるようになりました。
このブログを役立ててください!
私は、50歳でようやく理想的なライフスタイルを実現できました。でも、50歳は肉体的には衰えていく一方の年代です。
できれば、もっと早く今の状態に到達したかったというのが、ちょっとした後悔でもあります。
そのようなこともあり、世の中の人が少しでも早く、自分の理想に近づく助けになればと思っています。
私の体験中心の何でもないブログですが、よかったら少しだけお付き合いください。



